マイハビッツ〜理想の自分になるために〜

Webライターが「理想の自分になる」ことをテーマにしたブログを執筆します。

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このブログを読んだら最後「方向性」を思い出す

ブログは、朝に書くのが好き。

 

現在は飲食店でも働いている筆者だが、タイミーなども活用しつつ、一日を通して体を動かして働く時間が長くなった。

専業Webライターをしていた時期は、ほとんど体を動かさない毎日だったので、体を動かして働けることへの充実感は、とてつもなく大きいものだと感じている。

収入額の大小であれば、はっきり言って低所得者層に入るようになってしまったが、昔の自分自身の言葉を引用し、今の自分に言い聞かせたい。

「お金は稼げばいいんだよ。動く手足と頭脳を使って、稼げる自分がいるじゃないか。」

たぶん『鋼の錬金術師』の、この場面を真似して書いたのだと思うのだが。。

画像:鋼の錬金術師より



若かりし頃の俺よ。

何もわかっていなかったくせに。

どうにも的を得たことを言ってるじゃないか。

そう、これは2010年に自分が書いた記録。

手帳に記された言葉だった。

そこに記されたもう一つの言葉。

「俺は年収1000万円になる。そのために、時間と労力を支払う。」

そういえば、2010年というのは、書籍『思考は現実化する』を熟読していたタイミングだった。

そしてその後、実際に年収1000万円を経験し、自分の愚かさを知ったのだった。

理想と現実のはざまにあるイメージ

早朝に目覚めると、静かな時間と共に昔の自分が考えたことを思い出すことがある。

そのイメージの中にある「飲食店×学習塾」。

僕が学習塾講師になったのは2004年くらいだったかな。

まだ大学生講師として、アルバイトで講師を経験していたタイミングで、複数の学習塾と家庭教師を掛け持ちしていた。

家庭教師の時給が3,000円程度だったこともあり、勉強を教えることが稼げるのだと知った。

それ以前に行っていたアルバイトでは、飲食店の洗い場が多く、1日15時間ほどずっと洗い場にいたこともある。

当時はまだ「ブラック企業」という言い方も流行していなかったと思うし、大学生ながらにアルバイトで月収20万円近くを稼いだことがある。

※大学をさぼってバイトしていたことは…内緒。。。笑

飲食店×学習塾

当時、2種類のアルバイトを経験したからなのか、学習塾で正社員になったときから思い描くイメージが存在する。

それが「飲食店のような学習塾」である。

大学入試前に、自分もカフェやマクドナルドで勉強した経験があるからなのかもしれない。

飲食店で勉強する。(まぁ、、、飲食店員になっている今からすれば、店側としては「さっさと帰れ」と思う気持ちもわからなくはないのだが。)

とにかく、利用者としての立場で考えると、僕は飲食店を利用して勉強をしてきた人間だった。

そのおかげで成績が上がり、学習塾で勤務できるだけの学力を身に着けたわけで、学習塾の講師だった頃にも「自習こそ力」とも思っていた。

そして自習を基本とした学習プログラムを提供し、生徒の学力向上をサポートし、地域では少し有名になった過去。

さらに令和も数年たった今から考えると、自習を基本とした学習塾が多くなった。

その代表格は「武田塾」だろうか。

日本初!授業をしない。武田塾|徹底管理の個別指導塾

僕が提供していたのは「自習=無料」のプログラムだったが、それを応用したら授業料を取れるわけで、「学習塾=金稼ぎ」のイメージを持つ人が減らない理由の一つだろう。

武田塾が良いのか悪いのか、それは知らない。

個人的な意見で言うのであれば、学習塾の授業料は「授業(業を授ける)」ものに支払ってもらいたいと願うのだが、それ以上に自習ができない学生が多いのも事実。

それがわかるからこそ、武田塾の「授業をしない」を否定することなどできはしないと思えるのも、学習塾講師としての経験を踏まえてのことだろう。

sorato24-syu-kan.hatenablog.com

少し前、お誘いをいただいた学習塾も、僕が提供していたプログラムを応用し、高い授業料をもらっている学習塾だった。

塾長さんには言わなかったのだが、たまたま僕が見学したクラスにいた生徒のうちの一人。

帰りにその親が僕を待ってくれていた。

「先生!まだ先生やってたんですね!笑」

びっくりしたよ。

そう、18年前に高校生だった僕の元生徒。その人が親として、僕の前に現れたのだった。

偶然というのは恐ろしい。

そういえば、塾長さんが言ってた。「うちには有名な人、偉い親が多いんだ」

肩書を並べれば、素晴らしい人などたくさんいるが、そのうちの一人が僕の元生徒だったとは。

海外から帰ってきて僕を探したら、塾を辞めていたから仕方なく近場の塾を探したのだとか。

そうか、そういえばキミ。アメリカに行ったんだったよな。笑

英語なんて、今の俺より数倍は上達していたし、肩書も俺より素晴らしい人になっていた。

その保護者(元生徒)は言ったよ。

「先生に言われたんスよね。」

「俺、なんか変なこと言ったかな?」

「いやいや、今でも覚えてることがあるんスよ」

「俺、なんて言ってた?」

「自分を頑張らせることができる環境を探せって。それが塾なのか、カフェなのか。自宅なのかはわからない。先生の言うことも完全に信用するな。自分で考えて、違うと思ったら意見を言えって笑」

学習塾の講師の立場なのに、自分を信用するなって言う人なんて、見たことなかったと言っていた。

そうか、そういえば、そんなことも言ったよな。覚えているよ。

 

 

「方向性」を見失うことが最大のピンチ

自分自身においても言えることなのだが、人生の中で最もピンチだと思うのが「自分の方向性を見失ったとき」だと思う。

お金があるとか無いとか、支払いが滞っているとかはどうでもいい。

いや、実際にお金がないことで、数々の苦労があるのは知っているし、経験もしているから言えるのだが「お金がないことで、お金のことばかり考えて、方向性を見失うことがピンチ」なのだ。

受験勉強で言えば「目標校も無いのに勉強する」みたいな感じ。

人間、目標があれば行動できるもので、それに伴いある程度の結果もついてくる。

もちろんオリンピックで優勝するような目標を立てると、目標を達成できるとは言い切れないが「上位20%」という位置であれば、努力と時間を惜しまなければ誰にでも可能だと思う。

それは勉強だけでなく、収入額においても同様で、上位20%というのは、つまり「年収1000万円を超える」ことなのだ。

それを具体的に達成できることを知っているのは、やってみたからこそだろう。

友人の一人に、資格もなく親もなく、現状を乗り越えるために資格の勉強をしている人がいる。

大人になってからでも、着実に一歩を進んでいる姿を見ると、僕もまた頑張ろうと思える相手の一人だ。

そう、僕らを動かしているのは、きっと頭の中にあるイメージ。

パラダイム」という名の頭の中の地図。

それを「方向性」と呼んでいるのは、パラダイムを少し未来に向けた呼び名だと考えているが、そもそもパラダイムには未来を考えることも含まれている。

かつてのイメージを実現するために

今でも「飲食店×学習塾」のイメージが存在している。

僕が今、飲食店にこだわり続けて働いているのも、きっとこの頭の中のイメージが存在するからだと思う。

学習塾講師として経験を積み、Webライターとしてマーケティングを学んだ。

そして、提供できる飲食物が必要になり、それを生み出すために飲食店で働いていると考えれば、すべての自分の行動が繋がっているのだ。

不思議なものだ。

その時、そのタイミングでは、他の目的のために働く場所を考えていたはずなのに、すべては繋がっていくのだ。

僕はきっと「飲食店×学習塾」を世の中に提供する。

残念なことに、今すぐにできるわけではないのだが、そのための具体的な「方向性」が頭の中に存在し、現在の手帳に記されている。

おそらく僕以外にはできないはずだ。

なぜなら、僕以上にその2つの経験をもっている人はいないはずだから。

「少し経験してみました」という程度なら、多数の人が経験しているだろう。

しかし、その内部事情まで知っているような人。

飲食店と学習塾を同時に提供するような環境での「壁」にまで気づける人はそう多くない。

その「壁」を取り払うために、今を活動しているのだ。

 

自分が語りはウザいよな。でも、ブログなんて、そんなもの。

脈絡もなく、思いついたことを書く。

それでいいのだ。

 

いつか、きっと。

そのすべてが繋がるはずだから。