小さなことを積み上げる。。か…
最近は書籍の執筆に時間をとっています。
というのも、様々なお金稼ぎを通してWebライティングこそ最高の手段だと思っているからです。
当然、Webライターという職業は、クライアントから依頼を受けることで報酬を得る仕事なのですが、今ではブログ記事のような記事だけでなく書籍の執筆を依頼してくれる人も多くなりました。
AI時代が到来して以来、Googleからのアクセスを狙う企業や個人は減少傾向。
もちろん現在でもSEOで上位検索される記事を作成することで、顧客の流入を検討している企業は少なくありませんが、若者をはじめとするスマホ離れを考えた手段が求められ始めました。
AIが主流になるにつれ、人為的なコンテンツ作成はどんどん不要なものになってくることが予想され、AIを活用する能力が求められる時代になっていると言えるかもしれません。
今では文章だけでなく、画像や音楽、動画。一般的な人が想像できるコンテンツを作成するための方法はAI一択とする考えすら存在します。
とはいえ、昭和生まれの筆者は、多くの人為的クリエイター(アナログクリエイター)の活躍を忘れることはできず、機械的なクリエイター(AIクリエイター)よりもアナログの方が好きだと感じてしまいます。
現在としては、少し古い感覚と言わざるを得ませんが、人為的に作成されたコンテンツには、それ相応の温かみや個性が感じられると思っています。
文章にも同じように、AIを活用した文章より、ざっくばらんに語られる人為的な作成物の方が暖かく感じる気がしています。
Webライターとしては、AIを活用したコンテンツ作成を避けては通れない時代になってきています。
しかし、書籍執筆においては、SEOを無視した温かみある文章を書くことで、読者の心をつかみつつ、参考になる情報を提供できるような気がしています。
だからそこ、Webライターとしての仕事だけでなく、自分自身でも書籍を作成していこうと思います。
2024年に入ってから、お試しで一冊だけkindle出版をしてみましたが、思いのほかたくさんの方に読んでいただくことができ、感謝しているところです。
そんな経験を得て、今後の自分の方向性を考えたところ、心のどこかで「書籍100冊」という目標ができてきたのです。
もちろん「稼ぐ」という意味合いにおいては、100冊を出版するだけで稼げるものではないでしょう。
しかし、その目標を達成する過程の中で、経験として何を手に入れられるのか知りたいとは思わないでしょうか。
ネットで検索したとしても、経験則で語る人は多くありません。
人類が残した「記録」は、多くの場合は文献として残されています。
紙媒体で残される書籍は、時代を超えて語り継がれるものがあり、それ相応の価値を有していると思っているのです。
ただ紙媒体の書籍を出版するには費用が必要になることで、結果的に無料でできるkindle出版を選択するのが良いのかなと思っています。
もしも僕の経験が誰かの役に立つのだとしたら。
特別な手段ではなく「凡人が努力した結果」を記せるのだとしたら。
手島純太というキャラクターを知っているでしょうか。
弱虫ペダルに出てくるキャラクターで、凡人ながらも小さな努力を積み重ねられる人物です。
もちろん漫画やアニメの中の登場人物なのですが、どうにも自分と重なってしまう気がしてなりません。
多くの失敗を繰り返し、栄光というものを残せているわけではない。
成功を夢見て行動し、挫折と後悔を繰り返しました。
そんな中、弱虫ペダルで手島純太と出会い、努力できることもまた「才能」なのだと思ったのです。
凡人は凡人らしく、小さな努力を積み重ねてみたいと思いました。
他にも素晴らしい漫画やアニメはたくさん存在しますが、僕の頭の中では手島純太ともう一人。
ドクターストーンに登場する石神千空(いしがみせんくう)が発した言葉を思い出します。
「トライ&エラー」
そう、成功するための方法はこれしかないのかもしれません。
小さなことからコツコツと。
そんな当たり前のことを思い出し、一文字ずつ書籍を執筆していこうと思うのでした。
【結婚!?】激動の一年。もう10月。まだ10月。
- 昨年の9月ごろ?に付き合っていた彼女
- 失礼な付き合いから学んだ「彼女なんていらないか…」という感情
- マッチングアプリを辞めようと決意して出会った今の彼女
- デートは3回…そして告白…待った4か月
- 19日が俺たちの運命の日なのかと思っていたのだが…
- 楽しかった3か月。悲劇の8月
- 待っている間に気づいた感情
- 9月は会えるだけ会っていた
一年というのは速いもので、もう10月か。。と思ってしまう。
それでも2024年は個人的に激動の一年というしかなく、昨年の10月に自分が考えていたことが全て無くなってしまった。
そう、昨年の10月ごろといえば、マッチングアプリに没頭していた頃。
遊び相手こそ見つかるものの、素敵な彼女になるとは言い難いような出会いしかなかったころだ。
そういえば、1ヵ月程度で別れた彼女もいたっけかな。
マッチングアプリでの出会いというのは、本来の出会い方と比較すると、とても希薄なものに感じる。

昨年の9月ごろ?に付き合っていた彼女
表立って言うほどのモノでもなかったが、実はマッチングアプリで彼女ができたのは、現在の彼女で2人目。
最初の人は1ヵ月ほどしか付き合っておらず、デートの数も少ない。
それ故に、昨年の9月ごろだったかな…という程度しか覚えておらず、今はもう顔を見てもわからないのではないかとすら思う。
別れた理由はよくあるもの。
いわゆる「価値観の違い」だろう。
僕は週に1回も会えれば良いと考えてしまうのだが、前の彼女は毎日でも会いたかったのだそう。
LINEは毎日したい方だったみたいで、俺は用事があれば連絡する程度。
肉欲というか、性的な関係も、俺の方が意欲がわかなかった。
「なんで付き合ったの?」
と聞かれてしまいそうな感情で付き合ったことで、他人から見れば失礼極まりない付き合い方だったのかもしれない。
でも、あの付き合いは俺にとって必要だった。
それ以前の彼女のことを忘れるために。
はっきり言って、まったくタイプではなかったのだが、失恋してから数年間は彼女を作ってこなかったこともあり、「誰かと過ごせるならまぁいいか…」という程度の感情で付き合った。
感情的に繋がっていないものは、体を重ねることもなく消え去った。
それはそれで良い。
「相性」というのは大切なもので、どれだけ綺麗な人であっても精神的にストレスを感じる相手とはうまくいかないものだ。
いや、違うか。
その彼女は太っていたし、好きという感情を自分の中に見出せなかったのも、体型のせいかもしれない。
「人を見た目で判断するな」
そう言われてしまいそうだが、ダイエットに成功した俺は知っている。
「体型というのは、日常生活の現れ」であることを。
失礼な付き合いから学んだ「彼女なんていらないか…」という感情
相手に失礼になるとはいえ、俺自身には必要な付き合い方だった。
良くも悪くも、俺は「自分が好きになった人」としか付き合ったことがなかったのだ。
自慢になってしまうが、好きになった人にアプローチして、振られたことがない。
もちろん付き合ってから別れた経験はある。
それぞれの付き合いは3年以上。
最も長い彼女は7年も付き合った。
その7年間も付き合った彼女のことを忘れるために、あの1ヵ月があったのだと思う。
正直、1ヵ月しか付き合わなかった彼女に抱いた感情は次である。
「うっとぉしい…」
会いたいだの、ラインし続けたいだの。
さらに重むろな言葉を使うなら「えっちしたい」だの。
男性からすれば、願ってもないような肉欲感情を露わにしてくれていたわけだが、それがどうにも邪魔だった。
このブログを読んでいる男性がいるとして、ここまでの内容を読んでどう思うだろうか。
残念なことに、肉欲旺盛な男性はそれほど多くないと思っている。
そんなこと以上に、精神的な安らぎを求め、最愛の人を探している男性は多いのではなかろうか。
そう、1年前の俺がそうだったように。
マッチングアプリを辞めようと決意して出会った今の彼女

マッチングアプリでは、合計40人の女性と出会った。
最後に出会ったのが今の彼女である。
忘れもしない「12月19日」のことである。
12月19日というのは、俺が契約していたマッチングアプリの課金期限の日。
つまり、それ以降はまた課金しなければメッセージが読めなくなる日だった。
その日にメッセージをくれた人。
メッセージの内容まで覚えている。
「よろしくお願いします」
たった一文の、絵文字も顔文字もない。
句読点すらないような、淡泊なメッセージ。
俺は返信した。
「今日でマッチングアプリを辞めようと思ってるので、LINEでよければお話できますが…」
返ってきた返信は次のようなものだった。
「辞めちゃうんですね。LINE、いいですよ」
そんな淡泊な会話。
そこからLINEになって会話した内容も、それほど多くはない。
「会えるようなら、会って話をしませんか?」
「いいですよ」
それだけの会話で、コメダ珈琲で待ち合わせ。
年末の込み合う店。
会えた相手。
飲み物を口にせず、口数も多くなかった。
ただ、話を広げようとした俺に対して、微笑みを返してくれながら、手元はプルプル震えていた。
彼女は緊張で会話できないほど人見知りだった。
いや、後から聞いた話によると、年上の男性が苦手だそうだ。
出会ったときも、今でも。
俺は感じたよ。
「たぶん、ダメなんだろうな…」
デートは3回…そして告白…待った4か月
年末から年が明け、デートをした。
徳島に住んでいることもあり、デートスポットなどそれほど多くはない。
ゆめタウンとイオンがある程度で、高校生でもするような淡泊なデパート散歩。
「次は水族館にでも行ってみない?」
そう提案した俺の言葉に、同意した彼女。
そして四国水族館に行ったのが1月19日のこと。
19日が俺たちの運命の日なのかと思っていたのだが…
四国水族館は、香川にある水族館。
それまで行ったことがなかったが、寒空の中で緊張した女性は、俺のオンボロ自動車に乗って緊張していた。
相変わらず口数は多くない。
それでも全くストレスを感じず、水族館デート。
楽しかった。
俺が買ってあげたホットコーヒーを飲まず、イルカショーを眺めていた彼女。
「飲まないの?」
「珈琲にがてなんです」
そうか、コーヒーが苦手だったのかと思い、失敗したと思った。
帰りに「何か食べる?」と聞いた。
「お腹すいてなくて…」
やっぱり俺は気に入られていないと思った。
でも、居心地がよかった。
彼女が口を開いたのは帰り際。
「次に会うときは何をしますか?」
ハッとしたよ。
次に会うことを想定してくれているのだと。
だから言ったんだ。
「デートはとても楽しいけど、よければ次は彼女として会いたいかな…」
「なるほど…告白ですね…」
その日、答えはなかった。
「お時間をもらってもいいですか?」と彼女は言い、その日は解散。
ダメだったかな…と思いつつ、次に会う日をラインで決めた。
来ないと思ってた。
それなのに、来てくれた。
そこから4か月間、デートを誘い続け、月に1回か2回くらいのデートをしてた。
デートと言っても、大したことはしていない。
映画を見たり、公園を歩いたり。
肉体的な関係になることなど無く、ただ散歩をするようなデート。
川を見たり、山を歩いたり。
「体力は大丈夫?」
「大丈夫です」
つらそうな顔をしながら、山道を歩く彼女の姿。
あぁ…デートコース…完全にミスった…。
そう思いつつ、告白の返事は聞かなかった。
長かった4か月。
そして返事は唐突にLINEで送られてきた。
「もう待たせるのも悪いので言いますね。付き合おうと思っています」
それが5月19日。
楽しかった3か月。悲劇の8月
付き合うというラインをもらってからも、月に2回とか3回程度しか会えなかった。
お互いにシフト制の仕事をしていることで、日程を合わすのが大変なのだ。
俺が自分のシフトを調整することで、会う頻度は徐々に増えていく傾向があったが、そうこうして過ごしていた8月。
デートの日は8月20日だったのだが、前日の8月19日にラインが送られてきた。
「ごめんなさい。明日、行けなくなりました」
絵文字もなく、顔文字も無い。
あ、これは別れを告げられるLINEかもしれない。
そう思った。
「理由、聞いてもいいかな?」
俺は別れを告げられる覚悟をして、聞いたのだった。
「おじいちゃんが亡くなりました」
絵文字もなく、顔文字も無い。
淡泊な文面が、彼女の心を映していたように感じた。
それから1ヵ月。
また会えない日々が続いた。
そして9月。
待っている間に気づいた感情

会えない日々は寂しいものだが、彼女の感情を考えれば仕方ない。
そう、俺にできることはなかった。
ただ「待つ」という行動だけしか、彼女にしてあげられることはなかった。
それでも何かできないかと考え続け、待ち続けたよ。
一人で頭の中で思ったことがある。
「あ、俺、彼女のこと完全に信用してるんや…」
その時は付き合っているのだから、当然といえば当然なのだが、感情的なことである。
会いたい気持ちはあった。
何かしてあげたい気持ちもあった。
でも、連絡をもらえるまで待とうと思った。
当然、マッチングアプリでの出会いが希薄なものであることを知っていたので、このまま自然消滅してしまうのではないかとも思った。
身内の不幸というのは、それほど大きなものであることも知っているから。
「大丈夫?」
結局、待ち続けることができなくて贈ったLINE。
「大丈夫…ではないかな…泣いたり泣き止んだりです」
「落ち着いたらLINEください」
スタンプで返信がきた。
「ありがとう」
そして9月に入り、唐突にLINEが来たのだった。
数字だけが並んだLINE。
「えっと…何?これ(笑)」
「私の休みの日です」
思い返してみると、もうこの時には、俺の気持ちは決まった気がする。
9月は会えるだけ会っていた
もう言うことはない。
会えるだけ会っていたのだ。
何かをするわけでもなく、ドライブすることが多かったが。
とにかく会えるだけ会っていた。
どちらかの仕事がある日でも、仕事終わりに2時間とか。
彼女も疲れていた日もあったようだが、それでも会いに来てくれた。
正直、彼女から「好き」と言う言葉を言われたことはない。
付き合うというLINEをもらったくらいで、俺のことを好きになったわけではないかもしれない。
いや、きっと「好き」という感情はないと思う。
今でもそれはそう思うが、はっきり言ってくれたこともある。
「俺と結婚してくれますか?」
「私でよければ」
その日、俺たちは婚約者になった。
そして明日、彼女のお母さんに挨拶をさせていただく。
たった一年。
表立って公表することではないが、出会えたことを感謝している。
今でも彼女は言う。
「私、年上の男性、苦手なんです」
苦手な相手と、何度もデートを重ねられるはずはない。
それは俺が経験した1ヵ月で別れた人との経験からも理解している。
だからこそ、その言葉にこそ彼女の愛を感じることができるのだ。
年上なのに、苦手な相手なのに。
一緒にいようとしてくれることにこそ、パートナーとしての想いが込められていると思っている。
大切な相手。
心からそう思える相手。
手土産は買った。
準備はできた。
しっかり挨拶させていただこう。
そして、パートナーとして、いつまでも一緒にいられるように、これからも俺は努力し続けなければいけないだろう。
「結婚は墓場」
そう言う人もいるだろうが、確かに墓場というにふさわしい。
本当に結婚できるとすれば、俺は過去の出来事を墓場に捨てられる。
新しい毎日を、努力するべき方向性を見つけられたのだから。
考えるほどに難しい現実:個人活動の道
「できることをしようと思う」
この言葉は、人によって感じ方が違うのではないだろうか。

「可能な範囲を努力して結果を残す」
「自分にできる範囲で、無理せず行動する」
など、個人の努力量を定義できる言葉ではない。
とはいえ、昨今の仕事現場では働き方改革や賃金の関係により、労働者の「できること」に焦点を当てた職場が好まれているのも事実だと思う。

無理してでも結果を残す
僕が経験した職場では、多くの場合「職場のために結果を残す」ことが求められ、個人としての力量を超えた努力を強要されてきた。
それが悪いとは感じておらず、仕事というものはそういうものなのだと認識した。
それが最近では「無理しないように」という言葉を並べ、労働時間がどんどん削減されていく。
時給で働く日常の中で、労働時間を削られるのは死活問題。
物価高騰の中で、労働時間が削減されていく。
どれだけ時給が高くなったとしても、労働時間が削減されてしまえば元も子もないのである。
もちろん正社員として活動している人にとって、一定の賃金をもらいながら労働時間を削減することは必要な部分かもしれない。
しかし、それだと企業として存続するための「結果」が残せるとも思えない。
かつて18時間労働した末…
昔のことを掘り出すのは時代に合わないかもしれないが、サービス残業が当たり前の時代があった。
現在でも企業によってはサービス残業をしているところもあるかもしれないが、以前より数は減ったであろう。
それも「働き方改革」の結果だと思うのだが、ここ数年で倒産する企業は後を絶たない。
コロナ禍において苦しみを耐えてきた企業や経営者。
その人たちが直面している問題が、今度は賃金問題。
さて、どうすれば利益を出せる企業として存続できるのだろうか。
実は自分の会社を設立したいと思っているが…
労働者としての立場でありながら、経営者のことを考えるのは、これから会社を設立していこうと考えているからだ。
今の時代、会社を設立すること自体はそれほど難しい話ではない。
1円で設立できる会社もあるほど、一人でも設立できる会社もあるほどだ。
マイクロ法人を設立した場合、ほとんどフリーランスと変わらない状況で活動することも可能となる。
社会保険を手に入れる手段として会社設立を検討する人もいるだろうし、僕自身もそうである。
利益そのものよりも、個人事業主として活動するうえで、どうしても苦しくなる保険料や税金。
それらの節税対策として法人設立を検討する人々がいる。
そのうちの一人が僕ではあるのだが、年収800万円という節税効果を期待できる金額を維持しつつ、利益を追求していくことができるか不安になるのだ。
現在のところ、自分一人で年収800万円を獲得するには、1日12時間はパソコンに向かっていなければいけないと感じているが、それを他の人に許容するわけにはいかない。
従業員として雇うことを考えれば、月収30万円ほどを給料として支払いつつ、会社存続を考えていかなければいけない。
そうなると、年商としては2000万円では足りない程度の規模になり、必要な業務量が増加する。
考えるほどに難しい。
そんな状況にいながら、それでもやはり文章で稼ぐことが最善の道であることがわかってしまう。
誰かの企業に所属しても所得不足。
個人で活動する時代とはよく言ったもので、誰かの力を借りる程度しかスタートを切ることができないようだ。
あぁ、今日はいったい何が言いたいのかな。
よくわからないけど、頭の中にある不安要素を書きだした。
そんな日記のような考えも、ブログの醍醐味だと言えるだろう。
10月に入ったことだし
10月になったことで、何か1つチャレンジをしてみたいと思った。
とはいえ、仕事やプライベートで忙しく、遠出するようなチャレンジはできない。
さて、何をしようかと考えて1日過ぎた。
やはりブログか
Webライターとして活動している僕は、簡単にできるチャレンジとしてブログが思い浮かぶ。
はてなブログを1ヶ月ほど放置していたこともあり、改めてチャレンジとして活用してみたい。
やはりブログのチャレンジといえば、毎日ブログからだろうか。
毎日、何かを記事にすること。
たったこれだけのことが、どうにも難しいのは言わずもがな。
さて、今回は何日続けられるか。
行動できる自分を信じたいものだ。
一か月に一度のラーメン屋にて…モテ?
給料日が待ち遠しい人は多いだろうが、僕もそのうちの一人だろう。
飲食店で働いたぶんの給料が出ると、必ず通うラーメン屋がある。
ラーメン一杯800円。
チャーシュー丼とセットにすると1200円。
それに餃子までつけるとすれば、1550円。
一般的な値段設定とはいえ、一人での食事としては豪華なお値段と言える金額なのだが、学生時代から通い続けているラーメン屋である。

男性一人、女性二人で来店したお客様
僕が一人でラーメンを待っていると、目の前の席に男性と女性2人のお客が来店した。
それほど珍しいわけでもないのだが、円を囲むように配置された席であるため、目の前に女性が…。
意識していたわけでもないが、なんとも近い距離感だった。
ふと女性2人を連れていた男性のことが気になった。
現在、Webライターとして「モテ術」に関する記事を依頼されていることもあり、女性2人を連れてラーメン屋に入れるような人はどんな人なのか気になったのだ。
僕の前にラーメンが運ばれてきた
頼んでいたラーメンが届き、店員さんにお礼を言った。
「ありがとうございます」
店員のおばちゃんは笑顔で「ごゆっくり」と言ってくれ、昔から知っている大将も奥の方で「まいど!」と言わんばかりの微笑みを作ってくれていた。
箸を取ろうと顔をあげた。
目の前の女性と目があった。
なんとも気まずい…。
俺が目をそらした先に、女性2人を連れてきた男性の目があった。
俺の方を見ていたのだ。
次の瞬間、男性が発した言葉は、女性に対して「餃子も食う?」だった。
それ以前もそれ以後も会話はなかった…
俺の近くにいた男性は、女性2人のオーダーも決めて店員に言った。
入ってくるなり、女性2人はメニューを見て楽しんでいたというのに。
「うわぁ~おいしそ~!どれにしよっかな~♪」
文字にするとこんな感じの会話が、女子同士で行われている最中に、男性が「A定食3つ」と言い放った。
そして黙り込む男性…。
男性が発した言葉を思い出すとすれば「俺はこういう大衆的な店が好きなんだ」と言ったくらいだったろうか。
その発言自体はどうでもよいのだが、会話がない状態を近くで感じていたこともあり、心の中で思ってしまった。
「どうして女性2人を連れてきたんだろ…」
俺は男性だからだろうか。
女性と一緒に食事することができるとしたら、それはきっと楽しい時間だと思うのだ。
現在は彼女がいるが、彼女は食事自体が苦手な相手で、食事以外のデートを楽しむことが多い。
Webライターとして「モテ術」をリサーチしている最中というのも事実だが、モテない男性ってこんな感じなのかな…と、上から目線で思ってしまった。
案の定、女性2人はスマホを取り出し、何かを見ながら男性をそっちのけにして、女性同士で話し出してしまった。
もうあの男性にチャンスは存在しないのだろうと思うしかなかった。
おそらく会社の関係なのだろうが…
他人の関係をとやかく言うつもりはないが、おそらく男性が支払うのではないようだった。
「後から戻ってくるんだし」という発言があったことから、おそらく会社の付き合いで経費などになるのだろう。
だとしたら、ラーメン屋ではなく少し豪華な食事に行けば良いものを…。
恋愛ではなく、仕事の付き合いとして考えても、こんな上司は好かれないのではなかろうか。
俺は上司という存在をそれほど多く知っているわけではないので、世の中にどんな上司がいるのかは想像するしかない。
俺が経験した「上司」とは、肩書でいえば「社長」や「オーナー」でしかなく、それ以外の社員での上司をもったことがない。
勤めたことがあるのが小さな会社であれば、そういうこともあるのだ。
それはそうと、俺が知っている「上司」は、食事に付き合えと言うならば朝まで飲みに付き合わされるような相手だったし、昔はそれでよかった。
今でも、そういう人間関係が嫌いなわけではないし、人間臭さを感じられる良いものだと思っている。
それ故に、ラーメン屋で見た男性一人と女性二人。
違和感しか感じない。
誰かに言いふらす必要もないし、明日になれば忘れているに違いない。
でも、誰かに言いたかった。
だからブログにした。それだけのことなのだが。
人の振り見て我が振り直せ。である。
相手が女性であることに限らず、どんな場面でも時間を共有できる相手を大切にしたい。
会話して、その時間を少しでも良いものにしていきたい。
そう思いながら、今日は寝ると致しましょう。
お盆【阿波踊り】それも良い【由来】隠れた名所はどうだろう
お~いお茶。
なんと素晴らしいネーミングなのだろうと思う。
調べてみると、以下のCMが元になっているそうだ。
1977年から放送されたCMのようで、新国劇の島田正吾さんという人が発したセリフに由来するそうだ。
1986年生まれの僕は、このCMを知らない。
物心ついたときから「お~いお茶」は存在していた。
それなのに、なぜか親しみを感じている商品のうちの1つだ。
お~いお茶 濃い茶
現在の僕が好んで飲んでいるのは「お~いお茶 濃い茶」なのだが、実に渋みが豊かで喉腰が良い。
体脂肪を減らすと銘打っているが、実際のところはどうなのだろう。
真相はわからないとはいえ、ダイエットを始めたときから飲用しているが、運動も含めて15キロもの減量に成功しているのだから、まったく効果がないとも言い切れない。
このブログを読んでくださる50代以上の人であれば、きっとCMに懐かしさも感じるのだろう。
考えてもわからない
世の中には「ブーム(流行)」が存在するが、何が流行するのかわからないのが現状だろう。
例えば、近年の若者に流行しているのは、以下のような動画。
リズムに合わせて多くの人がマネできるもので、可愛い女性が踊っているショート動画も人気だそうだ。
また、大人であればミクシーやフェイスブックが流行した過去を知っているだろうが、現在の若者に流行しているのは以下のようなアプリ。
「BeReal.」とは、数時間おきに通知が来た瞬間に、今の自分を動画や写真におさめて投稿するもの。
学校の授業中だろうが、休日の余暇であろうが、通知がきた際に投稿しないと仲間外れになってしまうこともあるのだそうだ。
若者には若者なりの苦労が存在するのだろう。
「お~いお茶」が人気を集めた過去と比較すると、かなり気楽なイメージを感じるだろうが、常に流行の流れに乗らないと仲間に入れない若者たちの苦労を察する。
とはいえ、何がブームになるのか、まったく想像もできない世の中になったものだ。
お盆休暇は阿波踊り
筆者は徳島に住んでいるのだが、このブログを書いているのは8月11日。
通常、8月12日から8月15日には徳島市の阿波踊りが開催される。
阿波踊りを知らない人は少ないだろうが、日本四大踊りの一つとされているもので、もともとは盆踊りを元にしているという説が一般的だろう。
それは間違っていないのだが、本当の由来は「津田の盆(ぼに)踊り」であり、漁師町であった津田という地域に存在するもの。
古来からの伝承によると、漁に出かけた人の帰りを願うための踊りであったそうで、その中には帰ってこなかった人も存在し、魂だけでも呼び戻したいという願いが込められていた踊りだった。
津田という地域は、今では米津玄師の地元としても知られているだろうが、徳島が誇る隠れた名島なのだ。
そして、知る人ぞ知るものがもう一つ。
金長だぬきの祠
ジブリ映画の「平成狸合戦ぽんぽこ」を知っている人も多いだろうが、歴史上で繰り広げられた実際の話が存在する。
阿波の狸合戦は実際に存在し、その跡地であったり、金長だぬきの祠が存在しているのも津田なのだ。
そして、少し話は変わるが、源義経が逃げていた場所は津田からそう遠くない小松島である。

実は徳島という土地は、歴史を紐解けば、かなりの名所と言わざるを得ない。
現在では「何もない土地」なんて言われていたりするが、実際に何もないのだから仕方ない。
それでも、実は邪馬台国の所在地かもしれないという説まであるほどで、隠れた歴史が多々存在している。
阿波踊りも良いが、徳島の隠れた名所を探してみてはどうだろう
8月12日から阿波踊りが開催されることで、県外から多くの人が徳島を訪れることは間違いない。
徳島から都会に出た人も、阿波踊りをきっかけに戻ってくる人もいるはずだ。
さて、阿波踊りも良いが、少し徳島観光をするつもりであれば、隠れた名所を探してみても良いのではないだろうか。
そう、地元民だけが知っている。そんな場所。
このブログに記したのは「由来」である。
知られざる由来には、人々の想いや歴史が詰まっていることが多い。
だからこそ、ネットで情報を探している人にとって、ほんの少しの気づきになるに違いないと思い、このタイミングに記すことにした。
哲学というものだ
少し短い文章を書こう。
たった500文字程度。
読む速度で言えば、1分もかからないだろう。

今いる場所はどこなのか
今いる場所がどこなのか、わかる人はいるだろうか。
もちろん地理的なことではなく、人生の中での位置である。
自分が何を目指し、どこに向かおうとしているのか。
そして、いま現在は、どの位置にいるのか。
他者の存在で…
比較対象がなければ、自分の位置を考えることもない。
しかし、ふと気づいたときに、自分の立ち位置を知った時、誰かと比較して「上だ」とか「下だ」とか言っていないだろうか。
教育界には「相対評価」と「絶対評価」が存在するが、そのどちらが正しいというものはない。
そもそも、自分の立ち位置を誰かと比較することすら、本来は間違っているのかもしれないが、比べなければ自分の位置はわからない。
そうやって行動しなければ、自分の立ち位置を知るきっかけにすら出会えないだろう。
誰かと出会い、会話することで気づくことも多いはずだ。
「あ、自分ってのは、そういう風に見えているんだな…」という具合。
他者がいなければ、自分は存在しないのと同じ。
アナタがいて、僕がいる
この文章を読んでいるアナタがいることで、僕という存在が確立される。
哲学というものだ。
